予定通り結婚式は挙げたというか挙げられた。
全く「挙げた」だけ、2泊3日の沖縄への新婚旅行、帰ってきたら即仕事。しかも新店オープンへ向けて分刻みの業務、備品が入り、商品が入荷、パート・アルバイトも採用・教育etc. 毎日、朝8時の幹部ミーティングから夜9時のミーティングまで休憩も殆ど取れないくらい忙しい。勿論、休みナシ。家に帰ったっらバタンキュー!
家内とは同じ会社の出身だが彼女の知っているダイエーはスタッフ部門、現場は殆ど知らない。だから、彼女の描いていた結婚生活とは大きく異なっていたと思う。結婚後数カ月、彼女のことを気遣ってやることも出来なかった。
11月30日、西宮店はオープン。
無事オープンと書きたいが無事ではない非常に売れた。オープン日の売上は1億5000万円、新記録。そして、その後もその調子は続いた。
即12月、オープン景気から年末商戦に突入。商品も人も足らない。実験なんて一時棚上げ。ボクは人事担当だからアルバイトの採用に奔走。学生アルバイトだけで200名以上を採用した。月末のアルバイト給与だけで2000万円を越えた。その支払いも大変、なにせバイトは現金払い。銀行のズタ袋2袋、重くて一人では持てない位。
とにかくオープンから年末を乗り切った。
ところが、年明け大事件が発生。
(続く)
2011年9月9日金曜日
2011年9月8日木曜日
結婚式
結婚式は家の近くの「陵楓閣」と言う料理旅館であげた。(今は、マンションになっている)
そこは明治の元勲・松方正義侯爵の別荘であったところで、立派な日本庭園があり、その離れが三方お庭で素晴らしい建物があった。オヤジが脳溢血で倒れたままなので家から近くが望ましく、陵楓閣は打ってつけであった。
式・披露宴の前の色々と細かい打合せが必要な時期、西宮店もオープン準備で忙しかった。朝8時から夜は9時頃まで休みなしでオープン準備作業。非常に良い経験だが、シンドイ作業の連続だった。結婚式の準備などしている暇はない。馬鹿な店長はこの忙しい時に結婚するなんてと言う。オイオイ結婚式は人事異動の前、春から決まっていたんだぞ!そのくせ、店長は式には出ると言う。まぁ、直接上司だし招待者にははいってなかったけど入れざるを得なかった。スピーチも!
ホントに式のことは彼女が一人ですべて段取りしてくれた。式の日までボクには休みもないのだからしかたがない。
結婚式は無事終了。
披露宴も届こうりなく終わろうとしていた。その時、事件が起こった。オヤジが宴席で倒れたのだ。最後のセレモニー、両親への花束贈呈の直前。 親戚一同、これは明日は葬式やと思ったとか。
3月に脳溢血で倒れ寝たきりだったのが結婚式と言うことで出席、披露宴では各種アルコールが出る。それを次から次へと飲んでいたのだ。グラスが空になるとボーイさんがすぐに満たしてくれる。又飲み干す。その繰り返し。倒れてアタリマエだ!
参列者への挨拶もソコソコに家に帰る。その頃までにはオヤジの意識は回復していた。たいしたことなさそうだ。でも、予定では即空港へだったがそういう訳にもいかない。旅行は取りやめか、でもオヤジは大丈夫だから行って来いと言う。飛行機の時間は来るし、ギリギリ決断して旅行に出発した。旅行中、心配し続けたことは言うまでも無い。
前途多難な門出だった。
そこは明治の元勲・松方正義侯爵の別荘であったところで、立派な日本庭園があり、その離れが三方お庭で素晴らしい建物があった。オヤジが脳溢血で倒れたままなので家から近くが望ましく、陵楓閣は打ってつけであった。
式・披露宴の前の色々と細かい打合せが必要な時期、西宮店もオープン準備で忙しかった。朝8時から夜は9時頃まで休みなしでオープン準備作業。非常に良い経験だが、シンドイ作業の連続だった。結婚式の準備などしている暇はない。馬鹿な店長はこの忙しい時に結婚するなんてと言う。オイオイ結婚式は人事異動の前、春から決まっていたんだぞ!そのくせ、店長は式には出ると言う。まぁ、直接上司だし招待者にははいってなかったけど入れざるを得なかった。スピーチも!
ホントに式のことは彼女が一人ですべて段取りしてくれた。式の日までボクには休みもないのだからしかたがない。
結婚式は無事終了。
披露宴も届こうりなく終わろうとしていた。その時、事件が起こった。オヤジが宴席で倒れたのだ。最後のセレモニー、両親への花束贈呈の直前。 親戚一同、これは明日は葬式やと思ったとか。
3月に脳溢血で倒れ寝たきりだったのが結婚式と言うことで出席、披露宴では各種アルコールが出る。それを次から次へと飲んでいたのだ。グラスが空になるとボーイさんがすぐに満たしてくれる。又飲み干す。その繰り返し。倒れてアタリマエだ!
参列者への挨拶もソコソコに家に帰る。その頃までにはオヤジの意識は回復していた。たいしたことなさそうだ。でも、予定では即空港へだったがそういう訳にもいかない。旅行は取りやめか、でもオヤジは大丈夫だから行って来いと言う。飛行機の時間は来るし、ギリギリ決断して旅行に出発した。旅行中、心配し続けたことは言うまでも無い。
前途多難な門出だった。
2011年9月7日水曜日
結婚まで・・・!
恋愛結婚のPointは双方の親の説得だろうと思う。
付き合って暫くして彼女が親に会ってくれと言いだした。
軽い気持ちで「いいよ」って言い、ある日彼女の家にデートの帰り立ち寄った。ボクのエーカゲンな所は彼女の家が農家であることをその時初めて知ったこと。デッカイ農家の家の座敷に通されて固辞するまでも上座に座らされた。両親が来られてご丁寧なご挨拶、そしてオヤジさん曰く「よろしくお願いします。」
ハメラレタとその時初めて気づくエーカゲンさ!
「ハイ」と答えてしまったと言うかそう言わざるを得ない。
次はウチの両親に彼女と彼女の両親を紹介しなければ、そこで一席セットすることを思いついた。
当時、まだあった宝塚温泉の料理旅館で会食、よく覚えてはいないけれどシャンシャンシャンで終わったと記憶している。
そこまでは良かった。
そこに前述の事件(オヤジが倒れる)が起こった。
結婚の合意はできていたが、日程が未定だった。
普通は様子をみるべく延期と言うとこだろう。ところが、彼女の親は違っていた。「お父さんが倒れられて大変でしょうから、早く結婚して同居し看病させます」と言う。ありがたい話ではあった。不通は考えられない。ご両親の決断に感謝。
式は11月12日ということで日程が決まりバタバタとその他の日程も決まっていった。
そこで問題は仲人さん、二人の上司である部長に頼むのが筋だろう。彼女の退職のこともある。社内ではマル秘扱いで部長はおろかだれも二人のことを知らない。それもマズイので徐々に情報を漏らしていったが、誰も信じてくれない。それほど秘密裏に進行していたのだ。
部長もビックリしたようだが、喜んでくれ仲人をOKしてくれた。
そこにもう一つ問題発生。人事異動があった。ボクは今度また店勤務(西宮の新店の次長)になった。しかも式の前、9月に着任。新店の準備は大変なこと、オープン日も11月30日と決まっていたからそこから逆算してスケジュールはきめられる。お蔭で新婚旅行は? 何とか3日だけ休暇をもらって2泊3日、残りは翌年の夏休みまでオアズケ。
このことは上司であり、仲人であった部長の画策、ハッキリは聞かなかったが「キミのためや!」と多分言うだろう。
何やかんやあったがとにかく、11月12日に結婚式を挙げた。
しかし、式でマタマタ事件が発生した。
(続く)
付き合って暫くして彼女が親に会ってくれと言いだした。
軽い気持ちで「いいよ」って言い、ある日彼女の家にデートの帰り立ち寄った。ボクのエーカゲンな所は彼女の家が農家であることをその時初めて知ったこと。デッカイ農家の家の座敷に通されて固辞するまでも上座に座らされた。両親が来られてご丁寧なご挨拶、そしてオヤジさん曰く「よろしくお願いします。」
ハメラレタとその時初めて気づくエーカゲンさ!
「ハイ」と答えてしまったと言うかそう言わざるを得ない。
次はウチの両親に彼女と彼女の両親を紹介しなければ、そこで一席セットすることを思いついた。
当時、まだあった宝塚温泉の料理旅館で会食、よく覚えてはいないけれどシャンシャンシャンで終わったと記憶している。
そこまでは良かった。
そこに前述の事件(オヤジが倒れる)が起こった。
結婚の合意はできていたが、日程が未定だった。
普通は様子をみるべく延期と言うとこだろう。ところが、彼女の親は違っていた。「お父さんが倒れられて大変でしょうから、早く結婚して同居し看病させます」と言う。ありがたい話ではあった。不通は考えられない。ご両親の決断に感謝。
式は11月12日ということで日程が決まりバタバタとその他の日程も決まっていった。
そこで問題は仲人さん、二人の上司である部長に頼むのが筋だろう。彼女の退職のこともある。社内ではマル秘扱いで部長はおろかだれも二人のことを知らない。それもマズイので徐々に情報を漏らしていったが、誰も信じてくれない。それほど秘密裏に進行していたのだ。
部長もビックリしたようだが、喜んでくれ仲人をOKしてくれた。
そこにもう一つ問題発生。人事異動があった。ボクは今度また店勤務(西宮の新店の次長)になった。しかも式の前、9月に着任。新店の準備は大変なこと、オープン日も11月30日と決まっていたからそこから逆算してスケジュールはきめられる。お蔭で新婚旅行は? 何とか3日だけ休暇をもらって2泊3日、残りは翌年の夏休みまでオアズケ。
このことは上司であり、仲人であった部長の画策、ハッキリは聞かなかったが「キミのためや!」と多分言うだろう。
何やかんやあったがとにかく、11月12日に結婚式を挙げた。
しかし、式でマタマタ事件が発生した。
(続く)
2011年9月6日火曜日
新入社員アメリカ研修
ダイエーでは入社内定者に対してスーパーの本場、アメリカでの研修を実施していた。
と言えば、カッコいいですが、内情は系列の旅行会社の営業。現地の社員にコーディヘネートさせてボロ儲け。
従来、これは新入社員教育担当の仕事であり、ヨロクでもあった。
例年通り企画して上司に持っていくと何故かNG。
旅行会社の営業ではなくて教育見地から見直せとの指示。そしてローコストの為、随行員ナシ、言われることは判るが、どうせーって言うんや!
後述するがこの上司:酒井部長は当時のダイエーでは異質な方でシビアそのもの。
何故実施するのか?実施の可否からの見直し。
まずは過去の参加者のフォロー。アメリカ研修は意義があったか否か?系列外の旅行社の企画内容チェック。費用の再試算。勿論、系列会社との比較。その前にアメリカ流通業の現状確認。何が最新型か? どのスーパーが伸びているか? フードビジネスは?等々。
助かったのはロスに調査・研究専任の調査員がおかれたこと。
彼にコンタクトして情報収集した。しかし、今と違うのはe-mailがある訳でも電話はあるものの高額。勢い手紙のやり取り。時間がかかる。今の時代が羨ましいい。
彼には本当に世話(随行・レクチャーetc.)になった。現地でも彼の自宅・兼オフィスまで伺ったりもした。途中のフリーウエイをポンティアックで都はるみ聞きながら時速100マイルで飛ばしたのは爽快だった。
とにかく、何とか新しい企画書が出来た。
結論から言えば元のプランとほぼ同じ。 1カ月かけたのは何?
酒井部長曰く「エー勉強になったやろ。これで社長にプレゼンしても恥ずかしくない」 と。
確かにエー勉強になりました。随行員・現地案内人ナシ、それで浮いた経費で事務局の費用をねん出。会社の費用は雑費のみ。また近ツリや日本旅行へウソついてダミー見積もりまで出させたんやから。
結局、24名が応募し3月上旬に実施、団長は人事課長、サブは地域の人事課長・実際の事務局はボク一人のみ、勿論通訳なんかナシ。なんとこの団長さん何もしない全くお客さん、余計に手間がかかる。
ロス、シスコ・ホノルルとツアーは何とか無事に終わったが、帰国したら大変なことになっていた。
帰国し羽田から家へ電話したら「昨日、お父さんが倒れた。即帰って来い」と母。
羽田での1泊が長かった。
と言えば、カッコいいですが、内情は系列の旅行会社の営業。現地の社員にコーディヘネートさせてボロ儲け。
従来、これは新入社員教育担当の仕事であり、ヨロクでもあった。
例年通り企画して上司に持っていくと何故かNG。
旅行会社の営業ではなくて教育見地から見直せとの指示。そしてローコストの為、随行員ナシ、言われることは判るが、どうせーって言うんや!
後述するがこの上司:酒井部長は当時のダイエーでは異質な方でシビアそのもの。
何故実施するのか?実施の可否からの見直し。
まずは過去の参加者のフォロー。アメリカ研修は意義があったか否か?系列外の旅行社の企画内容チェック。費用の再試算。勿論、系列会社との比較。その前にアメリカ流通業の現状確認。何が最新型か? どのスーパーが伸びているか? フードビジネスは?等々。
助かったのはロスに調査・研究専任の調査員がおかれたこと。
彼にコンタクトして情報収集した。しかし、今と違うのはe-mailがある訳でも電話はあるものの高額。勢い手紙のやり取り。時間がかかる。今の時代が羨ましいい。
彼には本当に世話(随行・レクチャーetc.)になった。現地でも彼の自宅・兼オフィスまで伺ったりもした。途中のフリーウエイをポンティアックで都はるみ聞きながら時速100マイルで飛ばしたのは爽快だった。
とにかく、何とか新しい企画書が出来た。
結論から言えば元のプランとほぼ同じ。 1カ月かけたのは何?
酒井部長曰く「エー勉強になったやろ。これで社長にプレゼンしても恥ずかしくない」 と。
確かにエー勉強になりました。随行員・現地案内人ナシ、それで浮いた経費で事務局の費用をねん出。会社の費用は雑費のみ。また近ツリや日本旅行へウソついてダミー見積もりまで出させたんやから。
結局、24名が応募し3月上旬に実施、団長は人事課長、サブは地域の人事課長・実際の事務局はボク一人のみ、勿論通訳なんかナシ。なんとこの団長さん何もしない全くお客さん、余計に手間がかかる。
ロス、シスコ・ホノルルとツアーは何とか無事に終わったが、帰国したら大変なことになっていた。
帰国し羽田から家へ電話したら「昨日、お父さんが倒れた。即帰って来い」と母。
羽田での1泊が長かった。
2011年9月5日月曜日
新入社員教育担当-2
勿論、メインの仕事は定期入社の高卒・大卒者の受け入れ教育。
当時のダイエーは年間出店20~25店と言う破竹の勢い。
1店あたり社員は100名位いるので毎年の採用数は高卒2000~3000名、大卒はオイルショック後やや減って200名前後、それでも多い。
彼らを人事部が採用し教育部が受け入れ教育をする。
最大の目標は内定後の落ちこぼれを無くすこと。その為内定後のコンタクトが大切になる。大卒の場合、毎月1回、教育名目で資料を送る。それを先輩1名と手分けしてやった。2年目からは一人でやった。今から考えると背筋がゾッとする。内容と物量には半端なものではなかった。
夏ごろ、入社内定、通信教育、入社式、入社合宿教育、フォローアップの教育(2回)・・・。それが終わればもう秋、次の採用が進んでいる。
入社式も気を使う儀式だ。
新入社員にとっては一生に一度の晴れの舞台。こちらは全役員出席だから気を使いっぱなし。 よくやったと思う。
自慢たらしくなるが、それを殆ど一人でする。企画して、会場手配やら事務作業。式のシナリオ作り、新入社員の輸送計画、予算管理。それを大阪と東京・福岡と三会場でする。条件は三会場とも同じであること。会場が違うのに同じようにするのは無理があるが、極力同様にする。一番困ったのは各地域の本部にも人事部があり、どうしても独自性を出したがる。そこを頼みこんで共通にさせる。何せ昼の弁当の中身まで一緒でないといけないのだから。ビデオやPCのない時代、写真と録音テープで対応した。
これを入社4年目の若造に任している、任されている。スゴイ会社だ。当時のダイエーにはそんなバイタリティーがあった。
オモシロイと言えばオモロイ仕事だった。
そんな中、入社前の内定者を連れてアメリカ研修へ行けと言う。アメリカなんて行ったことないし、英語も出来ないのに。(続く)
当時のダイエーは年間出店20~25店と言う破竹の勢い。
1店あたり社員は100名位いるので毎年の採用数は高卒2000~3000名、大卒はオイルショック後やや減って200名前後、それでも多い。
彼らを人事部が採用し教育部が受け入れ教育をする。
最大の目標は内定後の落ちこぼれを無くすこと。その為内定後のコンタクトが大切になる。大卒の場合、毎月1回、教育名目で資料を送る。それを先輩1名と手分けしてやった。2年目からは一人でやった。今から考えると背筋がゾッとする。内容と物量には半端なものではなかった。
夏ごろ、入社内定、通信教育、入社式、入社合宿教育、フォローアップの教育(2回)・・・。それが終わればもう秋、次の採用が進んでいる。
入社式も気を使う儀式だ。
新入社員にとっては一生に一度の晴れの舞台。こちらは全役員出席だから気を使いっぱなし。 よくやったと思う。
自慢たらしくなるが、それを殆ど一人でする。企画して、会場手配やら事務作業。式のシナリオ作り、新入社員の輸送計画、予算管理。それを大阪と東京・福岡と三会場でする。条件は三会場とも同じであること。会場が違うのに同じようにするのは無理があるが、極力同様にする。一番困ったのは各地域の本部にも人事部があり、どうしても独自性を出したがる。そこを頼みこんで共通にさせる。何せ昼の弁当の中身まで一緒でないといけないのだから。ビデオやPCのない時代、写真と録音テープで対応した。
これを入社4年目の若造に任している、任されている。スゴイ会社だ。当時のダイエーにはそんなバイタリティーがあった。
オモシロイと言えばオモロイ仕事だった。
そんな中、入社前の内定者を連れてアメリカ研修へ行けと言う。アメリカなんて行ったことないし、英語も出来ないのに。(続く)
2011年9月3日土曜日
新入社員教育担当-1
人事の教育部では新入社員教育担当。
メインの仕事は定期入社の高卒・大卒の受け入れ教育。
社員数の多さと各地域の本部の指導とかでそれはそれで大変だったが、それ以外にもう一つ重要な仕事があった。新入社員担当とは新しく当社へ入ってくる人を受け入れる作業全て、だから新人全員が対象。
当時はまだ中途入社が盛んだったし、特に中堅社員も多かった。
しかも中堅社員には役員候補クラスの方もおられた。これには参った。教育担当だった3年余りで入社後役員になられた方を数名は受け入れた。
各種手続きから社史・業務内容・社内規則等の研修、役員候補の方には現職役員との面談セット、各種全国の施設案内。それに現場(店)実習。1人入社されると1カ月位振り廻された。一番困るのは彼らの社長あての研修レポート(週刊)。それにどのような感想を書かれるかで結果はNG。ヒヤヒヤもんだった。
しかし、そのことが後々の仕事に非常にプラスになった。半数以上の役員が教え子、顔が効く、仕事がスムーズに進んで楽勝だった。今でも「森本先生」なんて冗談半分で呼ぶ役員もいる。
当時はどこから探してくるのか大手・中堅企業の名の知れた人材がドンドン入社した。ユニチカ・三越・丸紅・伊藤忠etc.
創業間もないダイエーを支えた人々だ。中には?な人もいたが。
メインの仕事は定期入社の高卒・大卒の受け入れ教育。
社員数の多さと各地域の本部の指導とかでそれはそれで大変だったが、それ以外にもう一つ重要な仕事があった。新入社員担当とは新しく当社へ入ってくる人を受け入れる作業全て、だから新人全員が対象。
当時はまだ中途入社が盛んだったし、特に中堅社員も多かった。
しかも中堅社員には役員候補クラスの方もおられた。これには参った。教育担当だった3年余りで入社後役員になられた方を数名は受け入れた。
各種手続きから社史・業務内容・社内規則等の研修、役員候補の方には現職役員との面談セット、各種全国の施設案内。それに現場(店)実習。1人入社されると1カ月位振り廻された。一番困るのは彼らの社長あての研修レポート(週刊)。それにどのような感想を書かれるかで結果はNG。ヒヤヒヤもんだった。
しかし、そのことが後々の仕事に非常にプラスになった。半数以上の役員が教え子、顔が効く、仕事がスムーズに進んで楽勝だった。今でも「森本先生」なんて冗談半分で呼ぶ役員もいる。
当時はどこから探してくるのか大手・中堅企業の名の知れた人材がドンドン入社した。ユニチカ・三越・丸紅・伊藤忠etc.
創業間もないダイエーを支えた人々だ。中には?な人もいたが。
2011年9月2日金曜日
労働争議!
ダイエーで労働争議が起こるとは全く考えてもいなかった。
それに巻き込まれるとは・・・?
当時のダイエーはイケイケどんどん。
業績は目を見張る高成長。仕事はシンドイものだったが、給与はソコソコ。組合はあったが、ユニオンショップ制のお抱え組合。
なのにスト直前の争議がおこった。
あとから判ったのだが、その筋の団体から狙い撃ちにされオルグを送り込まれてガタガタ寸前にされたのだ。
そしてそのターゲットが池田店だった。なにも知らない私は店の組合支部役員(書記)をしていた。それは大学卒の主任に与えられるお決まりのポジションだったからで他意はない。 そのことが、その後の私の進路に多大な影響を及ぼすとは夢にも思わなかった。
当時はオイルショックで超インフレ。
物価上昇に給与が追い付いていない。社内的には腱鞘炎問題etc.をかかえていた。でもストをして要求を貫徹しようなんて誰が思っていたのだろう。
毎年、組合が要求したベースアップを殆ど会社側は飲んでシャンシャンシャンだったように思うが、この年は違った。組合が非常に高い要求を出し、業界の牽引車、全国労組のモデルケースとなろうとしたのだ。
上部団体(全繊同盟)以外のオルグが入り、拠点店舗でスト権投票という戦術にでた。組合本部が牛耳られていたので支部としては従わざるを得ない。スト権投票まえには組合と会社の熾烈な社員の抱え込みがあった。支部役員としては本部の指示通りには動くが、何とか穏便に済ませようと動いた。スト、休業のイメージダウンは会社にとって多大な損失だからだ。
結局、なんとか調整がつきスト権投票は阻止できたが、そのシコリは長く続いた。賃上げが決まって、しばらくして人事異動があった。会社側の言わば粛清だ。組合支部役員には白黒ハッキリした異動があった。私には以外にも「人事」への異動が言い渡された。 会社側と判断されたのか? そんな意識は全くなかったのに。 やや後ろめたさはあったが人事・教育部へ異動した。
やはり、裏はあったようで、教育部での担当は「新入社員教育」。
でその目的はしばらくしてわかった。新しく策定した新入社員教育計画を見た社長曰く「これをしたら皆、オレの方を向くんやな」。
争議後の社員の方向付けを任されたようなもの。コリャ大変や!
それに巻き込まれるとは・・・?
当時のダイエーはイケイケどんどん。
業績は目を見張る高成長。仕事はシンドイものだったが、給与はソコソコ。組合はあったが、ユニオンショップ制のお抱え組合。
なのにスト直前の争議がおこった。
あとから判ったのだが、その筋の団体から狙い撃ちにされオルグを送り込まれてガタガタ寸前にされたのだ。
そしてそのターゲットが池田店だった。なにも知らない私は店の組合支部役員(書記)をしていた。それは大学卒の主任に与えられるお決まりのポジションだったからで他意はない。 そのことが、その後の私の進路に多大な影響を及ぼすとは夢にも思わなかった。
当時はオイルショックで超インフレ。
物価上昇に給与が追い付いていない。社内的には腱鞘炎問題etc.をかかえていた。でもストをして要求を貫徹しようなんて誰が思っていたのだろう。
毎年、組合が要求したベースアップを殆ど会社側は飲んでシャンシャンシャンだったように思うが、この年は違った。組合が非常に高い要求を出し、業界の牽引車、全国労組のモデルケースとなろうとしたのだ。
上部団体(全繊同盟)以外のオルグが入り、拠点店舗でスト権投票という戦術にでた。組合本部が牛耳られていたので支部としては従わざるを得ない。スト権投票まえには組合と会社の熾烈な社員の抱え込みがあった。支部役員としては本部の指示通りには動くが、何とか穏便に済ませようと動いた。スト、休業のイメージダウンは会社にとって多大な損失だからだ。
結局、なんとか調整がつきスト権投票は阻止できたが、そのシコリは長く続いた。賃上げが決まって、しばらくして人事異動があった。会社側の言わば粛清だ。組合支部役員には白黒ハッキリした異動があった。私には以外にも「人事」への異動が言い渡された。 会社側と判断されたのか? そんな意識は全くなかったのに。 やや後ろめたさはあったが人事・教育部へ異動した。
やはり、裏はあったようで、教育部での担当は「新入社員教育」。
でその目的はしばらくしてわかった。新しく策定した新入社員教育計画を見た社長曰く「これをしたら皆、オレの方を向くんやな」。
争議後の社員の方向付けを任されたようなもの。コリャ大変や!
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