2012年5月11日金曜日

通信販売

昭和43年だったと思うが、前年に会社を潰したオヤジが新しく通信販売業を始めた。
今なら当たり前のようになった通信販売だが、40年以上も前に通販を考えついたオヤジはスゴイと思う。

オヤジは元来が手袋屋で扱った商品ははやはり手袋、しかもゴルフ場のキャディーさん用の作業手袋。
ゴルフが好きだったオヤジはキャディーさんのウオンツを良く知っていたから普通の手袋を改良して商品化、全国のゴルフ場に販売した。
今とは違って注文も郵便なら配送も郵送、代金回収も郵便局経由。PCもなく宅配便も発達しておらず、netbankも無い時代のアナログ的方法だがそれしか方法は無かった。

全国ゴルフ場ガイドと言う本が市販されていてどこにどんなゴルフ場があるかは全て解るのでそこにカタログ・注文書を入れた手紙を出した。当時はゴルフ全盛期で全国に1200位のゴルフ場があった。しかも年々増加傾向にもあった。
それを春・秋と年2回送付し、注文を待つ。
注文は料金受信人払いのハガキ、料金は2倍だがこれが効率的で、最終的には局留めにしてもらい、発送で郵便局に行くたびに受注ハガキを受け取る。

商品は昔からの取引先に発注、アイテム数は10。オールシーズンと冬用が各5色ある。在庫は商品自体がかさばらないから在庫スペースもいらない。在庫が少なくなると工場へ発注、1週間で入荷するから在庫が無くなることもなく運営できた。
一番の心配は代金の回収。商品を送ってからの入金なので、知らん顔されたら・・・? しかし、日本人は真面目、貸し倒れは殆ど1%以下。例え入金が遅れても殆ど回収出来た。

この事業をオヤジと社員一人の二人でやっていた。
事業的に問題はマーケットに限界があることだ。
全国1200のゴルフ場に30人づつキャディーさんがいるとして36000人。年に2回買ってくれるとして1双(手袋は双で勘定する)250円で計算するとしてマーケットは1800万円。
当時の売上は1000万円そこそこで全国シェアは60%でスゴイものだが、延びしろがない。
当時のレベルでは食っては行けたが、将来性はない。
オヤジから受け継いだ時、ボクはサラリーマンだったからプラスαの収入にはなったが、そののちどうするべきか悩んだものだ。

その時の通販の制約は①商品が小さく、軽い物 ②お客様が限定される(告知方法がナイ) ③代金回収に不安のない・・・こと等がポイントだった。

結局は本業であるサラリーマンも忙しく、アルバイト的で終始し、その後の阪神淡路大震災でのゴルフ人口の減少、その後のゴルフブームの消滅もあり、この事業は廃業。世話になった取引き先に譲渡した。
失敗ではなかったが、少し先走り過ぎた事業ではあった。