2014年3月8日土曜日

中学時代の友人

中学1年のクラスには未だに思い出す友人が何人かいた。
中村クン・芦田クン・長谷クン等だ。あと、原田・荒木・佐々木等がいたが、中村以外は非常に成績優秀な生徒だった。
それにつられたのか、1年の2学期、信じられないのだが成績が大躍進した。
クラス十何番から突然クラス4番になった。芦田・長谷・原田・森本だった。芦田はその後、北野高校から一ツ橋大学へ、そして日銀へいった。長谷は豊中高校から阪大をへて住友商事に入社、IT系の会社を立ち上げて社長になった。
因みに芦田クンの父君は住友生命の社長、兄は東大卒で大蔵省へ。家は金持ち、頭はいいし、兄弟で大蔵省・日本銀行とは恐れ入る。
でも、当時は全く仲のよい友人だった。お互いの家に泊まりにいったりもした。
中村クンとは兄弟以上の付き合いだった。1年生は同じクラス、2年・3年になってクラスは違ったが、非常に仲が良かった。登下校も一緒、週末にはどちらかの家へ泊まり行き、徹夜で話し込んだものだ。 その彼も早世した。残念な限りだ。

中学入学

中学は大阪府豊中市立の第五中学校へ行った。
豊中の中学は味気ないネーミングを未だに続けている。因みに我々のころは6中までであったが、最近では20位まであるようだ。
で、やはりベビーブーマーである我々の時代は50人クラスで15組まであった。1学年で700人以上いた。

何組であったのか忘れたが、1年生のクラスは学校でも有名な「イトハゲ」伊東先生だった。何の担当だったかはこれも忘れたが、イトハゲが有名なのは担任クラス全員に日記を書かせること。それを提出、コメントが書かれて帰ってくる。書式は決まっていなかったが大学ノート1日1ページは書かないといけなかった
ように思う。
先生に見せる日記だから当然ホンネは書けない。でも、担任とのコミュニケーションはこれでとれていたと思う。

今から思うに、この習慣は何と結婚する前まで続いた。

ありがたい習慣がついた。何故、結婚を期にやめてしまったのか、又、何十冊もあった日記を結婚を前に燃やしてしまったのか。今から思うに残念だ。

日記を書く習慣は文章を書く習慣にもなり、当時はイヤな日記ではあったが、今から思うとイトハゲさま・様だ。