2012年1月18日水曜日

テレビは何故?

日本の民放テレビ放送は何故こんなに堕落した詰らないものになってしまったのか?
民放テレビも株式会社で収益を挙げることが求められるのは致し方ないのはわかる。
だから視聴率を上げて広告料を高くとるのが営業、営業の為には番組内容を大衆受けするものに変えていかざるを得ない。その方向が現在の番組の低俗化を招いているのだろう。バラエティーと呼ばれる意味のない番組が全盛、しかもギャラの安い割には人気のあるお笑い芸人(芸もないのに)を使ったバカ笑い番組が多すぎる。官製放送のNHKまでがその傾向にあるから世の中終わりかも!
これも突き詰めると視聴者たる我々が悪いのか!
最近は広告もスポット広告、1本何秒幾らのCMばかり。
以前は一つの番組を1社のスポンサーが買い取って放映、番組内容もその企業イメージにあったものを作っていた。だから、東芝日曜劇場などは安心して見ることが出来た。広告自体も松下やサントリー等は品がある物が多かったように思う。
表現の自由は尊重しなければならないが、何か規制が必要な時代になってきたのではないかと思う。
その前に良識が低俗番組を駆逐するか? しかし、悪貨は良貨を・・・!
報道番組にも一言あるが、又の機会にしよう。

2012年1月17日火曜日

社長の原稿

ダイエー人事時代で忘れていたことがある。
教育・研修で社長にお越しいただき訓示を頂くことが多々あった。

訓示の原稿(レジメ)は事務局としてまとめて数日前には社長に渡さなければならない。
その機会は入社式に始まり、新入社員の研修、階層別の研修等々、人事に在籍の3年間で毎年5回として10数回は社長の原稿を書いたことがある。しかし、それをそのまま読んでもらったのはたった1回、それも異動が決まってからの最終の新入社員研修の時だ。 これで最後と言うのを知っていたかのようである意味感激した。

富士の裾野、御殿場の国立青少年の家での新入社員研修の最終回のこと。
いつも社長の原稿(レジメ)は壇上の演台に置いておく、しかし社長は読まない。厭味ったらしく「今日はこんな話をしろと人事が作っておいてありますが・・・」とその原稿を手にとって見せてわざわざ脇に置き、自分が持ってきた風呂敷包をあけて自身の資料を取り出して話だす。
そんな時はガックリ、だがそれにも数回続くと慣れてきていた。と言っていいかげんな原稿を作る訳にもいかないので、無駄な作業とは判っていても真剣に時間をかけて作ったものだ。
しかし、その時の社長は素直に原稿を開いてそれに従って話し出した。
殆ど私の作った原稿そのものだ。脱線もあまりしなかった。だから聞いている方はあまり面白くなかったかもしれない。ふと社長の体調か何か悪いのかなとも思った。シンドイから現行のまま話したのかもしれない。
でも嬉しかった。人事を卒業する卒業論文が評価されたような感じだ。
神戸に移ってからは、会合・Partyの挨拶原稿は何回か書いたが、挨拶は形式的なものだから書くのも面白くない。
研修の「社長訓示」はその研修の成否を左右しかねないから重要なものだ。それだけにやりがいはあった。最後に卒論がパスして感慨無量ではあった。

2012年1月11日水曜日

申送り書

やはりエライもので、Facebook経由で投稿しなくなったらこのBlogも届こうっている。プレシャーがなくなったってわけか?別に構わないが、不思議なもんだと思う。

「申送り書」なるものをまとめた。
これは息子たちへのモシもの時の実用的な申送りで遺言ではない。
より身近な使えりものを目指した。死亡した時は勿論、急な病気で入院などとなった時、彼らが困らない為だ。その可能性が大なる私としてはこれは必需だと思って作った。この「申送り書」はPCのドキュメントに残してある。

例えば、銀行の通帳はどこにあるとか、その前に何行に預金があるかから始まり、光熱費やNTTの引き落としまで記してある。
普通、母親が存命なら母親がすることを彼らがしなければならないのでこのようにした次第だ。
一気に全てを書くことには無理があるので、順次書き加えていくつもりだ。
この「申送り書」の所在だけを彼らに連絡しておけばよい。
モシもの時はこのPCを開ければOK。
何となく一安心なのだ!

2012年1月4日水曜日

進路指導セミナーの講師

昔はこんなのでは無かったと思う。
ひょんなことで関西一円の高校をたずねることになって驚いた。

平成14年にイチケンを退職して暫く遊んでいた時の話。高校生向けのセミナーの講師の仕事があると聞いて応募した。
講義1回につき幾らと言う請負仕事、予定がある時はお断りもOKと言うのでヒマツブシにはうってつけだと喜んで応募。履歴書に以前ダイエーで人事・教育を担当していたと書いたので即採用した。 

具体的には高校3年で就職をする学生へ就職についての心構えを講義する講師。 決まった内容はないし、先輩としての体験を喋るだけでいい。しかし、時には就職試験(面接)のことやその実技指導も要求されたりした。

これを企画運営している会社はおもしろい。
事業内容は私立大学、専門学校の受験生への説明会(進路指導セミナーと呼んでいた)の企画運営。
昨今の少子化で受験生は不足ぎみ、各大学や専門学校は事前に受験生の囲い込みをしておきたい。その具体的手立てとして高校で無料の進路指導セミナーを開催する。各大学・専門学校から参加料(これが収入源)を貰いそのセミナーの企画運営をする。当日は高校を訪問し、説明用のブースを作り、各校から担当者が来て資料を配り入試の説明をする。出来たら願書まで書かせる。

高校側では無料で各校の資料や説明を受けられるとあって大歓迎。
しかし、ここで各高校が困ったのは就職希望者への対応、その時間就職希望者はどうするのか?そこで就職希望者へは「就職の心構え」の講義が必要となり、我々講師の出番となる。
高校によって進学率が異なるので進学校ではほんの数人に講師したことがあるし、就職希望が多い学校では200人位の時もあった。この講師を初めて2~3回までは事前にレジメを作り大変だったが、慣れてくるとパターンができその高校の実情を聞き即対応出来るようになった。
関西、大阪がメインではあったが、四国・徳島や名古屋方面に出張することもあって楽しかった。

そこで気づいたのは各高校のレベルの差、公立・私立を問わずそのレベルは千差万別。
大阪の名門校へ行った時は「さすが○○高」と校門をくぐった瞬間にその伝統を感じた。校門から玄関までがキチンと清掃され植木も葉刈りされている。玄関の受付の対応も立派。
一番ヒドイ学校はTVドラマでも見られないヒドサ!
まず、玄関に入って「エッ」と驚いた。なんと女子学生がガムを噛みつつ玄関先に寝転んでいる。先生らしき人が横を通っても注意もしない。掃除もぞんざい。
講義が成り立たないことも行くたびかあった。教室がざわついて話にならない。そんな時は一方的に講義してオシマイにするに限る。妙な正義感は不要。なにせ、同席している先生が申し訳程度に「静かに」と言うだけ。静かにはならない。

一度、こんなこともあった。
講義が初めて気がついた。後ろの方の席でなんと弁当を食っている。たまらず注意したらその生徒曰く「怒られた。怒りよった」と。
私にではなく担当の教師に抗議する。ここで私の一言がいけなかった。「弁当は教室外で食べろ!アホ」・・・「アホ」は余分だったが口癖だ。
この高校のヒドサはこのことについて講義終了後ナニの対応もなかったこと。そしてその後会社に高校から抗議めいた電話があったとか。そして会社からは「過激な発言は慎んで欲しい」と言われ辞職してほしいような感じだったので即辞めた。民間企業はツライものだ。
ヒドイ高校の現状を親は知っているのか?
教育者ではないからこれ以上は何も言わない。

2012年1月1日日曜日

2012年 新年を迎えて

新年明けましておめでとうございます。
形式的な挨拶、一つもめでたくはないが、生きていることには感謝・感謝!
家族全員元気に元日を迎えられたことはありがたい。

しかし、残念なのはママがいないこと。
そして当家の伝統が正月にも受け継がれていけないこと。

四国の田舎から船場へ丁稚奉公に出て来た祖父・勝治と福井小浜の城下町からこれまた女中奉公に大阪に来ていた祖母・一恵の二人が大阪船場の商家と讃岐と小浜の風習を加減して新しい「モリモト流」を作っていた。
それをママにまでは殆ど完全に受け継がれていたと思うが、ママの急逝で息子たちに受け継ごことが出来なかった。
正月は、関西風の白みその雑煮・お屠蘇・梅茶・おせち料理等、母は土井勝先生の弟子、優子もそれに近かったので新森本流を確立させていたのに。
今さら、愚痴を言っても仕方がない。
息子たちが新々森本流を作ってくれることを願うばかり。