2011年10月5日水曜日

神戸商工会議所 ①

 民間渉外担当たる私の主たる業務は神戸商工会議所の対応。
当時、社長は商工会議所の副会頭。でも社長は殆ど東京だから会議・会合等には出席出来ない。その代理を常務がしていた。私はその補佐、色々な情報を集めて報告、指示をもらう。

常務も出席出来ない会議・会合には代々理をしなければならないので大変な時もあった。
 私の仕事は外交で言う「シェルパ」のような仕事。
シェルパとはヒマラヤにいる山岳登山案内人のこと、転じて外交上の情報収集・事前調査・調整担当のこと。まさに私の仕事はシェルパだった。
 常に会議所事務局とは良好な関係を保ち、情報をいち早く入手、対応を検討し報告、社長の指示を受け対応する。


 当時、会議所の担当窓口だった計谷部長とは同年齢だったこともあり、何か気が合ってツーカーの仲になった。以来20年余、お互い退職してからもつき合っている。実際彼とは色々一緒に仕事をした。飲みにもよくいったものだ。
事務局責任者で常務理事をされていた長田氏にも親しくお付き合いいただいた。長田・計谷両氏のお蔭で神戸商工会議所との関係は常に良好に保てた。
両氏には感謝・感謝だ。


 神戸で大手といえば「神戸4社」と言われていた神戸銀行・神戸製鋼・川崎重工・川崎製鉄。
そこに神戸「5社」と言われるようになりたいと手を挙げていたのが当時のダイエー。商工会議所もその4社が主導していた。
神戸銀行は取引があったし、川重・川鉄は元来当社より、問題は神戸製鋼。何か先方も対抗意識があって接しにくかったのを覚えている。
 部下の社員に良く言ったのは「神戸4社と言ってもその業界では2位3位、我々は業界トップ、リーディングカンパニー。胸をはって頑張ろう」・・・と。
ある面渉外のしごとは「キアイ」だから!

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