2011年10月8日土曜日

中内育英会   

 財団法人中内育英会の事務長を命じられた。
事務長と言えばカッコ良いが事務局は事務長一人のみ。事務所は神戸本店の中にある。と言っても登記上の話。事務局たるスペースはドコか明確ではない。
確か電話は1本あった。かかってきたら「中内育英会です」と言って出るように指示されていた。

 この財団は兵庫県の認可のもと、育英・奨学事業をしていた。
基本財産(資本金のようなもの)は社長が個人的に寄付したダイエーの株式、毎年の配当で財団は運営されていた。当時は3割配当をしていたので、財団の資金は潤沢であった。
 資産が株式であるので株価が上がると総資産額も増える。株価が3000円をつけた時、資産総額は一時的ではあるが100億を越えた。主管部署である県の教育委員会は総資産が不安定ということで主たる資産が株式であることを嫌がったが当時は高株価の時代、配当も高配当、無償増資や株式配当もあって資金的には順調ではあった。
 

 中内育英会の主たる事業は商業学を学ぶ大学生への奨学金の支給。
県下の指定大学の学生に返済不要の奨学金を授与していた。学部の学生1学年6名、合計12名に3か月に1回、本人を呼んで理事長(=中内社長)自身が手渡していた。だから年4回授与のセレモニーをしなければならない。定番の業務ではあるが、邪魔くさいと言えば邪魔くさい。 
 いつだったか授与後、「これで明日からスキー行こう」と言った学生がいて、後から叱られた。奨学金を本当に必要な学生に支給するのは難しいものだ。

 他に、商業関係の論文(作文)募集事業や講演会等も実施した。
それに商業学を研究する若手研究者へ研究費も出していた。これは貰いっきりで領収書もいらない。もらった人は後に「研究成果です」と膨大な論文・資料を持って来られるが、頂いて読む訳でもなくありがた迷惑でもあった。
奨学生を選ぶのも研究費授与者を選ぶのも決まった顧問の大学教授、関西派と呼ばれる神戸大学・神戸商科大学・大阪市立大学の経営学部・商学部の先生方だ。

ある意味その先生にとってはスゴイ金を握っていることになる。
何度か選考委員会に同席したが、メシを食うだけ、事前に割り当てがあって選考はすんでいるのだ。ペーパーを見せてこれでよろしいねでオシマイ。委員会経費(=高価なメシ代)だけ無駄。
 しかし、その後流通科学大学を設立する時には色々と援助頂く結果とはなった。

 財団の年間予算は約8000万円、県の指導は年間収入(=予算)は全額使うものといった年度決算主義、こちらは不足すると困るのでなるべく節約、だから毎年1000万円は残る。
 決算報告で理事長は「剰余金:1000万円」にご満足、「これだけ残ったんやな」と念を押す。県教委へ行くと「剰余金はいつかはまとめて使え」と言われる。最後には1億円は超えないようにと念を押される始末。考か不幸かそれまでに退任してしまったし、財団は無くなったが。

 一番気を使ったのは年1回の理事会。
突き詰めれば「書面理事会」も可能だし、この手の財団でキチンと理事会している財団も珍しいだろう、でも書面理事会は理事長が許さないだろう。
 理事は6名、理事長と常務理事は良いとして元兵庫県副知事・神戸市長・神戸商工会議所会頭が入っている。日程調整から理事会議題・進行・事後の食事やお土産のことまで何せこちらは一人なので大変。
当日は司会進行までしなければならないしスーパーマンにならないと出来ない!

 いつの理事会だったか、全理事が揃ってしまった。普通は誰かが欠席なのだが、全員が揃うなんて! 神戸首脳会議みたいな会合になってしまった。事務局はもうバタバタだった。

 そこに理事長からまた無理難題が突き付けられた。
当時(中曽根総理の時代)社長は臨時教育審議会の委員をしていて「留学生20万人受入計画」が政府方針として決まった。
即、反応して「育英会で中国人留学生を財団で受け入れるように・・・!」
社長からの指示はそれだけ、全くどのようにしたら良いか判らない。
常務理事も冷たいもので「指示はそれだけや」後は自分で企画しろと言う。
このことはあらためて書こうと思う。

 しかしその財団も今はどこかに吸収されてしまったのか?懐かしいと言えば懐かし過ぎる。




 


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