2011年9月16日金曜日

父、勝治が亡くなる。

 脳溢血で自宅療養中の父が昭和57年11月4日に亡くなった。享年77歳。
倒れてから5年、ヨイヨイながらよく生きたものだ。

医師が「もうそろそろ」とは言っていたが、突然の感があった。
寝た切りの状態であった父とは毎朝「行ってきます」帰宅して「ただいま」と言うのが習慣、逆にそれだけの状態ではあった。

4日の朝、静かなので寝間を覗くと亡くなっていた。穏やかに、安らかに。
一時、いわゆる「痴呆症」で家族を困らせたが、殆ど手を焼かせることはなかった。介護保険などない時代、全て自宅でよくやったとおもう。 

痴呆症の症状はやはり昔のこと、戦争中のこと。
夜中、突然起きて大声で「○○が今セレベスから帰ってきた。玄関開けてやってくれ!」と叫ぶ。今頃、復員する人なんていないし、夜中2時だ。・・・と言う説得はNG.同類項になって「判った。玄関開けてくるわ」と言って「開けたけど誰もいなかった」と言うと「そうか?思い違いか」と納得し寝てしまう。その極意がわかるまでだいぶかかったが。

優子もその時生れていた勝也(長男)もヨイヨイのオヤジしか知らないのは幸いだった。あの超オソロシイ父がいたら大変だったろうに!

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