2011年9月2日金曜日

労働争議!

 ダイエーで労働争議が起こるとは全く考えてもいなかった。
それに巻き込まれるとは・・・?

当時のダイエーはイケイケどんどん。

業績は目を見張る高成長。仕事はシンドイものだったが、給与はソコソコ。組合はあったが、ユニオンショップ制のお抱え組合。
なのにスト直前の争議がおこった。


 あとから判ったのだが、その筋の団体から狙い撃ちにされオルグを送り込まれてガタガタ寸前にされたのだ。
そしてそのターゲットが池田店だった。なにも知らない私は店の組合支部役員(書記)をしていた。それは大学卒の主任に与えられるお決まりのポジションだったからで他意はない。 そのことが、その後の私の進路に多大な影響を及ぼすとは夢にも思わなかった。
 当時はオイルショックで超インフレ。 
物価上昇に給与が追い付いていない。社内的には腱鞘炎問題etc.をかかえていた。でもストをして要求を貫徹しようなんて誰が思っていたのだろう。
毎年、組合が要求したベースアップを殆ど会社側は飲んでシャンシャンシャンだったように思うが、この年は違った。組合が非常に高い要求を出し、業界の牽引車、全国労組のモデルケースとなろうとしたのだ。 

 上部団体(全繊同盟)以外のオルグが入り、拠点店舗でスト権投票という戦術にでた。組合本部が牛耳られていたので支部としては従わざるを得ない。スト権投票まえには組合と会社の熾烈な社員の抱え込みがあった。支部役員としては本部の指示通りには動くが、何とか穏便に済ませようと動いた。スト、休業のイメージダウンは会社にとって多大な損失だからだ。

 結局、なんとか調整がつきスト権投票は阻止できたが、そのシコリは長く続いた。賃上げが決まって、しばらくして人事異動があった。会社側の言わば粛清だ。組合支部役員には白黒ハッキリした異動があった。私には以外にも「人事」への異動が言い渡された。 会社側と判断されたのか? そんな意識は全くなかったのに。 やや後ろめたさはあったが人事・教育部へ異動した。
 やはり、裏はあったようで、教育部での担当は「新入社員教育」。
でその目的はしばらくしてわかった。新しく策定した新入社員教育計画を見た社長曰く「これをしたら皆、オレの方を向くんやな」。
争議後の社員の方向付けを任されたようなもの。コリャ大変や!








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