2011年9月26日月曜日

モーリー工業株式会社   

 話は前後するが、オヤジが倒れた時、オヤジは細々と商売をしていた。
前の会社(東亜手袋)が倒産して半年後に自分一人で商売を始めて「モーリー工業」と言う会社を起していた。社長ひとり、社員ナシの全く個人企業。


 思いつたのは、ゴルフ場のキャディーさん用の手袋販売、しかもそれが通販。
昭和42年の話、NETも宅配便もない時代、ようやったと思う。
商品は昔の繋がりで作れる。販路はゴルフ場ガイドで調べれば全国1000余りのゴルグ場がある。郵便で案内しハガキで受注。発送は小包。代金回収は郵便為替。ニッチな事業。一番心配だった代金回収も結果的に貸し倒れが殆どない。

 オヤジのゴルフ好きが活かされた商売だ。キャディーさん仕様の手袋を作ったのが当たった。 そのノウハウは企業秘密。 拡大発展は望めないが家族4人が食べて行くには十分。

 そこにオヤジが倒れた。
一人でしていたから全ての業務はストップ、たまに手伝いに行っていたのでおぼろげながら仕事はわかっていたが、エライコッチャ!
当初、ダイエーの仕事が終わってから夜、大阪の平野町の事務所へ行き発送作業。どうにかしないとこんなこと続けていけない。廃業するにはもったいないし。

そこでオヤジの友人に相談、人を雇うことにした。給料を出すと、利益の半分が飛ぶ勘定だが、定年で遊んでいた人を雇うことにし、事務所も賃料の高い大阪から池田に移した。事務所の引越もトラックを借りて自分でやった。各種手続きも何とかすまし、ホッと一息。この雇った人が非常にマジメでキッチリした方で助かった。もう亡くなったが感謝・感謝。

売上げは増えないまでも順調に営業出来た。
しかし、このことが良かったのか悪かったのか? 

この事業の儲けはボクの小遣い、交際費やガソリン代等も使える、ダイエーの給料は生活費と言う型が出来てわりと楽な生活。典型的な家内事業のスタイル。
この事業は阪神大震災の翌年まで20年余り続いた。
しかし阪神大震災後の不況で売上げは半減、本当に半分になった。
ゴルフ場が不況で何軒か潰れるくらいレジャー関連は不振を極めた。特に主たる顧客だった関西が酷かった。 回復を待ったが無駄だった。 

  買掛金が払えない状況になり、事業を製造元の会社に売却して廃業した。買掛金と事業全体がチャラ。何も残らなかった。
オヤジさん、ゴメン! 

もう少し商才があれば今はやりの通販会社位に大きく出来たのに、いかんせんサラリーマンとの兼業、時代も熟していなかったのか残念!
 

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