2011年7月21日木曜日

オヤジさん(お爺さん)のこと。(その1)

オヤジさんのこと。
つまりは森本勝治のことについて知る限りを書いてみよう。
これ以前のルーツは調査不足でわかりません。

森本勝治、明治38年11月8日・香川県大川郡白鳥町(現東かがわ市)生まれ、同年は日露戦争で帝国海軍がバルチック艦隊を撃破した年、だからその時生れにには「勝」が多く使われている。因みに私の生まれた昭和23年頃は日本国憲法発布にちなみ「憲」の名前が多い。当時の親は単純やった。
没年:昭和56年11月4日(76歳)脳梗塞で自宅療養中、死去

勝治は森本家の10人(?)兄弟の末っ子。当時(明治中期)のこと当然扶持減らしに奉公に出された。
彼は大阪船場の綿布問屋「井上??」へ丁稚奉公し、戦争に行くまえには手代(課長?)位には出世していたはず。
寺井一恵と昭和11年に結婚。大阪の南久宝寺町に居を構える。
その結婚式の映像、しかもカラーで残っている。8mmが医のう家のボンボンの趣味で映してくれたらしい。当時の商家の様子もわかる歴史的価値がある。以上余談。
兄が生まれ、しばらくして出征した。いわゆる赤紙がきたのが12月7日、真珠湾攻撃の前日、いよいよ戦争かと思ったそうだ。
戦時中、家族は故郷の香川県へ疎開。勝治は海軍で掃海艇に乗ってセレベス(インドネシア)へ、4年間で戦闘は1回と言うから暇な戦場もあったものだ。ただ、その1回の戦闘で足を撃たれ、弾も摘出せず復員した。
22年復員、私は香川県の疎開先で生まれた。
復員後は当然のごとく以前の仕事はなく、色々な仕事に手を出したみたいだ。 その時何故かタイガースに関係していたらしい。疎開先で「貸本屋」をしていたことも、店の前で映した写真が残っている。因みにその時の屋号が「回天堂」。25~6年頃の話。
その後、大阪で仕事をみつけ、家族揃って大阪府豊中市蛍池転居した。
オヤジの仕事は手袋屋だった。
(以降その2へ)

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