2011年8月10日水曜日

17日は厄日。

17日は死にかけたり、ママが流産したり、阪神淡路大震災がきたりであまり良い日ではない。厄日だ。
そこで水子供養と一度死んだ私の「仮命日」と言うことで、17日は特別に礼拝している。

で、仮命日のこと。
2001年10月17日深夜1時のこと。
突然呼吸困難になった。
全く予期せずの出来ごと。遅くなったがもう寝ようと着替えてベッドに横になった途端に息苦しい。と言うより息が出来ない。口から空気が入ってこない。不思議と苦しくはない。
ただ、これはヤバイ!と思った。その様子を見てママが救急車を呼んだ。階下の息子達も上がってきた。意識はまだある。言葉も喋れる。手足も動く。いくらかは体内に酸素が残っているのだ。酸欠になるまで何分かは生きながらえるようだ。
息子二人に「お父さんは多分もう駄目だと思う。お母さんを助けてみんな力をあわせて頑張ってくれ」と遺言めいたことを言った覚えがある。

救急車が来て乗せられた。その夜は小雨模様、顔に雨が落ちてくる。
「あぁ。人生の終わりがこんなに突然やってくるとは? やり残したことはイッパイあるけどシャーナイなぁ・・・」と思った途端、シャッターが下りるように瞼が閉じた。映画やドラマでガックと逝くのと同じ。 
53歳の人生は終わった・・・と思った。 闇夜の世界。

それから4日、突然眼が覚めた。
「どこやココ!」ママが横にいた。
「生き返った」とは即気付かなかった。
病院のベッドに手足を縛られて寝かされている。
身体中いたるところから点滴のハリ。身動き出来ない。
ママが手を握ってくれた。
「生き返ったんか!」 でも感動はなかったように覚えている。あたかも当然生き返ったようにふるまったようだ。
「苦しかったんやね。もう暴れて、暴れて!」 ママが涙ながらに言った。
生死の境でもがき苦しんでいたようだ。でも本人は意識がないから全く知らない。4日もたっていることすらわからない。
それから1カ月、生れて初めて入院生活。
過去の病歴もなく健康診断もキチンと受けていなかったので、医師は苦労したようだ。 とにかく肺が水でいっぱいで、呼吸が出来なくなったらしい。何故水が溜ったのか? 腎臓がダウンしていたのだ。
腎臓との戦いの始まり。
(長くなるので、続きは次回)
反省点:①一人で寝ていたら発見されなかったかも。
                 奥さんと同じ部屋で寝ましょう!
             ②自身の健康状態は常に把握を。(記録しておくとよい)

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