2011年8月6日土曜日

浪人した。

大学受験に失敗、浪人になった。
それもドラマチック、大学受験の発表を見に行き不合格、泣きの涙で家に帰ったっら、オフクロさんが「お父さんの会社が潰れた」と言う。お蔭でボクの大学不合格の問題はそっちのけ。

会社が倒産するということが充分には理解出来なかった。
収入が無くなる位はわかっていたけど、借金取りが家にまでくるなんてことは知らなかった。要は中小企業の場合、社長の自宅・土地等を担保に入れるのが普通、だから借金返済の為、転居しないといけない。また、その他の金融機関(いわゆる街金)なんてのを使うと借金取りが追いかけてくる。ただ、わが家の場合、その連中が家の前までは来ても中には入って来なかった。「外にいる人としゃべったらアカン」と言われた。彼らはオヤジが目当てなのだ「お父さんいてはるか?」「・・・・・」が一番オヤジは家に籠りっきり。何日かそんな日々が続いた。

数日するとオヤジが会社からデスクやキャビネットなどを持ち帰ってきた。
応接間を事務所にするという。比較的広い家だったので窮屈ではなかったが、オヤジが毎日いるというのがなんともはや!!!

追い打ちするようにその家の立ち退き問題が浮上した。以前から国道のバイパス工事で立ち退きが要求されていたのだが、土地建物は銀行の担保に入っているし、家を増築した時のローンもあり、それで立ち退き補償問題。オフクロはそれで走りまわっていたように思う。

しかし何と言っても最大のピンチは収入がゼロになること。
いわゆる「売り食い」をして当座を凌いでいたように思う。
Golfの会員権や骨とう品等を売って2,3年は生活していた。
親子揃って浪人とはトホホ・・・!

予備校へ行けと言われたが気が進まない。
子供には十分な教育をと思うのが親心、イヤイヤでもないが浪速予備校と言う予備校へかよった。 でも大教室での授業は面白くなく、場所が梅田ということもあって、内緒だが映画ばかり見ていた。 旧コマ劇場の地下に100円で3本立をみせる映画館があった。当時はラーメン一杯80円だから100円は昼飯代。洋画の大作ものもそこで全部見た。朝10時開演、終わったら外は暗いってこともあった。

翌年の受験には何か自信があったのでそう勉強しなかったように思う。
とにかく浪人を1年経験したが悲哀感はなく有意義な1年であったと思う。
翌年、関西学院大学・商学部に入学出来た。
オヤジもその後1年位で何とか食っていける事業を再スタートさせた。やはりオヤジさんは凄い! 根性が我々とは違う。見習いたいが見なられるものでもない。 DNAは一緒のハズなのに。

親子揃っての「浪人時代」は年ソコソコで終了した。

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