2011年8月20日土曜日

遊病生活(その1)

 再び、ママについて。
その遊病生活(彼女が命名・病気とは闘わないの意味)について
彼女の乳がんが発見されたのは市の集団検診。1994年秋のこと。
どうする?どうする?と騒いだが、急にどうこうはない。まだ豆つぶくらいで、何の症状もない。普通の生活を送っていた。
そこに年明けあの「阪神淡路大震災」が襲った。
ラッキーにもわが家は2年前に建て替えていたので内壁に亀裂が走った程度ですんだ。だが勿論、家の中はガチャガチャ。家具・食器類は全滅。近所は半壊状態。電気・ガス・水道は普通、被災生活が始まった。
震災で彼女が乳がんであることはどこかに吹っ飛んでしまった。彼女も何も言わないし、全く忘れていた。

数年後、彼女が胸を触れと言う。
恐る恐るさわるとシコリ以上の何かが胸の横に出来ている。何故黙っていたのか?痛いとも言う。
信仰上の理由で手術はイヤ、科学療法もNG.それでも病院に行かねば。そこで我々の意見(無理な)を聞き入れてくれる病院・医師さがしにかかった。しばらくして友人の紹介で希望に近い医師が見つかって診断を受けた。
彼は一般の診察が終わってから診察してくれた。
よくわかった先生で、ただガン専門ではないので充分なことは出来ないとは言う。それでもOK,我々の意見を十分に聞き入れてくれる素晴らしい先生だった。普通は医師の指示に従わない患者は嫌がられるものだ。
それから毎月1回その病院への通院が始まった。毎回夜9時過ぎから診察、家に帰るのは12時ころになったが、嬉しかった。
何回目かの診察で彼女の痛みが周期的であることを発見、生理の周期で痛みがくるのだ。そこで医師から提案があった「ホルモン治療」を始めることになった。つまり女性ホルモンを抑えるために男性ホルモンを注射することによりガンを抑えると言うのだ。
これが的中した。1年後、ゴルフボールくらいあった彼女のガンは殆どハレがひいてきた。先生は学会発表ものだと喜んでくれた。このタイミングで切除すればとの提案があったがこのままこの状況が続くのであればこのままで良いと彼女は言う。毎月1回のホルモン注射を続けることにした。
このままこの良い状況が続きますように!
(続く)

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