2011年8月25日木曜日

主任さんに!

1年半後、昇格試験にパスし宝塚市の小林店に異動、待望の監督職・売場主任になった。
でも、仕事の内容は変わらない。

その後1年、今度は池田市の池田店の主任に昇格した。
仕事の内容は同じだが、当時の池田店は全国ベスト5入る大型店、一般食品課の売り上げは月8000万円、年商10億、名実ともに大主任さんだ。部下は社員が10名、パート・バイトが10名以上いた。主任の仕事は主任代行が殆どする。本当にナイ。売場をウロウロするだけ。

メーカーさんにとって当時のスーパーは無視出来ない存在になっていた。だから年末などには大手の食品会社のエライさんがこんな若造(27歳)に挨拶に来られる。味の素・ネスレ・明治・森永等々。

また当時は商品を並べたら売れる時代、つまりは商品確保が売上アップに即つながる。社内競争をしてでも商品確保が成績アップに繋がった。
今のシステム化したスーパーと違い店での商談も可能だった(会社は禁止していたが)仕切り値はおなじでも現物商品をつけて仕入れたりして結構おもしろかった。10c/sに1c/sタダの商品をつけるのが一般的だった。

とにかく、仕事がオモシロかった。時間はアッと言う間に過ぎていった。
昭和48年、そこにオイルショックが襲った。(続く)


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