2011年12月16日金曜日

昭和天皇崩御の前後。

昭和天皇が体調を崩された時、皇室に関連した仕事をしていた。

中内商店らしい仕事、中内社長の次男、正氏(後の福岡ダイエーホークスのオーナー)の結婚式の準備。
全く会社とは関係がない個人的なこと、それを社内では秘書室を中心に秘密プロジェクトを作り社員を使って進めていた。これも会場その他が神戸であることもあり、メンバーに入れられた。これは公私混同の最たるもの、後に使った経費は中内家に振ったらしいが、人件費は振りようがないし・・・?
私の担当は神戸で行われる結婚式、披露宴の調整、細部の調整に走り回った。

問題は新婦が皇室の遠縁にあたられる女性であったこと。
お相手の母親が常陸宮妃殿下の姉妹に当たる方で披露宴に妃殿下がお越しになるとのことで大変! 1泊2日で神戸に滞在される。その間の接待を全てしなくては! 
それに警備、妃殿下の行動計画を作って警察と警備の調整が必要になる。 しかし、兵庫県警に挨拶に行ったら、今回は妃殿下とはいえ個人的な行事なので警察としては警備はしないとのこと。公務なら警察が警備をする、同じ方なのに何故そんなに違うか? 
但し、警備計画は出せという。公務なら秒単位だが公務ではないので分単位で良いとか。 しかも計画書のひな形があるわけでもない。 言われた通り妃殿下が新神戸駅に到着されてからお帰りになる新幹線の乗られるまでの計画をたてた。 確か1ヶ月位作成に要したと思う。 ようやく県警に持参、結果的には警備課長に褒められた。民間でここまでされる所はないと。

そんな中、天皇陛下が入院されたとの報道。
これで当初の計画は全て見直しに。 世の中自粛ムード! 結婚式自体をするものか否か? これは両家と本人の話。 最終的には式は簡単にするが、披露宴は中止。つまり結婚はするが派手なお披露目はしない。 
実は当時、新神戸に新しくホテルとショッピングセンター・劇場からなる大施設(オリエンタル・パーク・アベニュー=OPA)を作っていて正氏がそこの社長になる予定でこの計画はストップする訳にはいかず、進められた。 正氏の結婚披露宴はこのホテルオープンに合わせて双方のお披露目の意味も持っていたのだ。 
1年前から計画したこのプロジェクト、1ヶ月前の中止は大変、殆ど全てをキャンセル、キャンセル漏れがあっても困るのでシビアーなチェック。実行する方が楽だったかも!

OPOAだけはその秋、オープンしたがセレモニーは最低限に、お祝い事は中止。お祝いを意味するものは全てカット。 これも漏れがあっても大変。OPAは粛々とオープンした。
因みに披露宴はその後落着いてから、東京で行われた由。
昭和天皇は昭和64年1月7日に崩御された。
因みに、1月7日は私の誕生日。
家内が何を思ったかその時だけ、誕生祝いに「祝い鯛」「赤飯」「ケーキ」を準備していた。 不遜にも崩御当日は他に食事の用意もなくそれらを頂いた!!!

0 件のコメント: