2011年12月23日金曜日

大阪女子マラソン

今年も大阪女子マラソンの季節がやってきた。
毎年、このマラソンが来るとお世話になった酒井 清さんのことを思い出す。
大阪女子マラソンの始まりは昭和50年代の中ごろだったと思う。
いきさつの詳しいいところは知らないが、ダイエーがメインスポンサーで大阪で女性のマラソン大会をするという。 マラソンが今ほど認知されていなかった時代、しかもマラソン大会などしたことのない大阪で、ましてあまり関係のない当社が?

そのプロデュースをしたのが元上司で我々の仲人もお願いした酒井さん。当時は販売促進部長だったが、特命でマラソン大会担当をされていた。 
確かに販売促進の仕事と言えばこんなに大々的なキャンペーンはない。関西の店舗を中心に女子マラソン一色、各メーカーの協賛もあって大々的なチラシ展開、しかも店のある沿道にはノボリ・カンバンで一杯に。その後ダイエー崩壊前まで大阪女子マラソンへの協賛は続いたと思う。
その苦労話は伝え聞いたが、ご本人からは何も聞くことが出来なかった。何故ならその大会が無事終わり暫くしてから彼は突然亡くなったからだ。当時、新聞にも載ったが、中内社長との面談中にクモ膜下出血で倒れ3日後になくなった。まだ40歳代前半だったとおもう。
有能な社員が次々と亡くなっていくダイエーの悲劇の始まりであったとは当時だれも知らなかった。

先日、夫人にお会いしたら「主人が生きていてもダイエーはやはり・・・?」と訊ねられて返答に困った。
酒井さんが生きておられたら、少しは延命できたかもしれない・・・?

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