2011年11月18日金曜日

福岡ダイエーホークス

少しダイエー時代にPlay backする。
福岡プロジェクトの当事者ではないが、中途半端な立場で首を突っ込むことになっていた。
しかし福岡のプロジェクトが具体的に何であるかは知らなかった。
当時の福岡市長が神戸の本店に何度か来られた。大量の福岡銘菓「ひよこ」をお土産に。ちなみに1箱60個入りを最低3箱は持って来られた。1箱は社長に後は女子社員にと気のきいた市長さんだった。でも10人で120個は多すぎる。
社長との面談場所としては本店事務所の社長室は一番よい。
まず人の出入りが少ない。神戸市の貸しビルの1フロアなので不特定多数が出入りするので誰が来たかが判らない。マスコミもノーマーク。

福岡市長は野球チームの誘致と福岡市が開発した埋立地に球場を中心とした施設を誘致しようと必死だったのだ。
福岡市民は西鉄が福岡を去って以来、球団を切望していた。これには全ての政党も一致団結していたようで、その後の市議会での決議をみてもわかる。(因みに当時の市長は社会党市長だった。)

そして中内社長自身も球団を持ちたがっていた。
Tigersファンだと言われていたがそれは疑問? 野球もあまり知らない。
アメリカの名を遂げた人は球団オーナーをしているというので自分もが本音か? ちなみに当時の球界の大物、巨人の渡辺氏・西武の堤氏とは親交があり、いずれはといった話は進んでいたようだ。
とに角、福岡のプロジェクトは進んでいた。
そこへ南海ホークスの身売り話が三和銀行から飛び込んできた。そして即食いついた。そして球団の責任者に前の本店責任者のU氏が指名された。以来、U氏は本店の仕事はそっちのけ、またスタッフが決まるまで私に部下ということで手伝わされたのだ。そのことは後のちプラスにはなったが。つまりは球団の神戸での窓口業務。捌きの仕事。

「ダイエーが球団を」のニュースが流れると関係者のダイエー詣でが始まった。
福岡の話はシークレットなので、神戸市は是非本拠地を神戸にと言って来るし、アシックスや美津濃は是非ユニホームや用具をと言って来る。何も決まっていないとお断りするのも大変だった。
ダイエー球団の後援会まで神戸に出来る始末。
結果的には福岡へ。福岡の巨大プロジェクトが発表されて又大変。
今度は神戸のダイエーが何故福岡なのかといったクレーム。福岡市との密約がまだ公表されておらずこの問題は裁きかねた。
そのうち福岡市議会は全会一致で誘致賛成を決議。それには球場用地の売却(価格も含めて)決議も入っていた。大手を振って福岡へ行ける。
そうして福岡ダイエーホークスが生まれた。
ダイエーにとって球団経営は二の次、開発用地の合法的安値取得が目的であったように思う。

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