2011年11月23日水曜日

その後のダイエー

1996年2月、阪神淡路大震災1年後26年余り勤めたダイエーを辞めた。
辞めさせられた型ではあるが、会社に対して何の感情もない。そしてその後のダイエーについても何の関心もない。ダイエー時代の話は過去のことになりきっている。

その後ダイエーは震災でガタガタになったと言うかメッキが剥げた型で倒産した。
正確には中内 功氏が作ったダイエーグループという巨大な個人商店は崩壊した。

実際には会社再生法を申請し減資して存続している。
今も店舗はダイエーの名前で営業しているが、個人的にはアレはダイエーではないと思っている。

その後いろいろと批判はあるが、個人的に私は中内社長の作った個人商店の従業員であったことを誇りにさえ思っている。 
実力もないのに大きな仕事をさせて頂き、オモロイ人生であったと感謝さえしている。しかもかなりの高給で! 批判する人に言いたい「その批判、在任中に何故しなかったの?」と。 

ダイエーが亡くなったのは震災後の金融危機の為と思っている。 
金融再編のアオリで借金が多すぎるという理由で潰された。今まで一度も返済が届こうったことも担保不足もなかったのに。
小泉・竹中に潰された。

ダイエーの財務の大方針はメインバンクを作らず数行並列に扱っていたこと。
銀行に口出しさせない経営方針を貫いていた。思いもかけずそれが取引銀行の合併で崩れた。つまりはメインの東海銀行と三和銀行が合併してUFJ銀行になり、融資のバランスが崩れたのだ。合併した銀行のダイエー取引額が異常に大きくなり、しかも不良債権扱いされたから。

そしてグループといった中途半端な概念も邪魔になった。
法的には企業グループの概念はない。資本構成何%以上がグループなのか? 連結対象がグループ会社なのか?
ダイエーでは中内社長に関連した企業をグループと呼んでいたので特にややこしい。しかもそれを知ってか知らずか銀行もその中内商店に融資していた。全くダイエーと資本関係のない中内社長が作った個人会社もグループ扱いしていた。それを合わせると借金は膨大な額になる。
顕著な例がホークス関連の事業。球団・球場・ホテル等で1500億位の融資を受けていたが、アレは実は個人企業。中内社長の次男が社長を務める会社。そして30年融資でも恐らく融資返済には?がつく。貸す時にわかっていて貸したのに急に返せという。銀行の身勝手、実際は黄色信号のついた融資だからだ。

そんなこんなで痛いところを突かれて中内社長は辞任しグループは分解。ダイエーは再生機構入りして減資して再出発。
そしてそれまでに強烈なリストラがあった。
グループ企業の売却・退職勧奨(指名解雇)給料カット(最終的に50%減)去るも地獄、残るも地獄の状況。
しかし一般論としては会社がリストラになっても絶対に辞めるべきではなく会社にシガミツクのがBestだと思う。
個人的にあと1~2年いて辞めれば退職金の増額等があったが、再就職先が即見つかり待遇が全く同じというのは全くラッキーだったと言える。
かくして中内氏が一代で築いたスーパー王国は崩壊した。
しかし、プライドを持って言える。
我々が日本の高度成長を支えたのだと。

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